今日は何の日 2/7

#今日は何の日 2/7

1754
京都の医師・山脇東洋が死刑囚を解剖。これを元に日本初の人体解剖記録『蔵志』をまとめる(閏2月)。

1873
明治政府が「復讐禁止令」(仇討ち禁止令)を布告。

1899
「実業学校令」を公布。「中学校令」を改正し、尋常中学校を中学校に改称。

1902
かるたへの課税に反対して京都の業者がかるたの製作を中止。職人5千人が失職。

1927
大正天皇大喪の礼を挙行。

1934
中島久万吉商工相が13年前に書いた文章の中で逆臣・足利尊氏を礼讃しているとして貴族院で追求される。9日に辞任。

1943
ガダルカナル島から日本軍が撤退完了。

1946
出口王仁三郎が大本を再建。

1952
埼玉県金子村に米軍のB29爆撃機が墜落。搭載された爆弾が次々と爆発し死者17人。

1965
北爆開始。アメリカが北ベトナム・ドンホイの軍事施設を爆撃。

1968
カナダで憲法が改正され、英語のほかフランス語が公用語に。

1971
スイスで国民投票により女性参政権を承認。

1974
中米・西インド諸島グレナダがイギリスから独立

1990
ソ連共産党拡大中央委総会が、共産党一党独裁の抛棄、大統領制の新設、市場経済の導入を採択。

1991
ハイチで初めて民主的な選挙で選出されたアリスティドが大統領に就任。

1992
盟12か国が「ヨーロッパ連合条約」(マーストリヒト条約)に調印。

1993
能登沖地震が発生。

2009
メルボルン近郊で大規模な山火事発生。死者181人。2月12日、放火容疑で2人を逮捕。

番外
北方領土の日

日本政府が1981(昭和56)年に制定。

1854(安政元)年12月21日(新暦1855年2月7日)、日露和親条約が締結され、北方領土が日本の領土として認められた。

北方領土択捉島国後島色丹島歯舞諸島からなり、面積は4996平方kmで沖縄の2倍強ある。

江戸時代から日本は北方領土の開発・経営をしていた。「日露通好条約」により、ロシアとの国境が択捉島とウルップ島との間に確定された。その後、1875(明治8)年の「樺太千島交換条約」によって樺太全島を放棄する代わりに千島列島全てが日本領となり、1905(明治38)年の日露戦争の勝利により、「ポーツマス条約」で南樺太も日本領となった。

第2次大戦の敗戦により、1951(昭和26年)の「サンフランシスコ平和条約」で、日本が戦争によって奪った土地の権利・権原等は放棄することとなり、千島列島もその中に含まれた。しかし、北方領土は戦争によって獲得した土地ではなく、権限を放棄する千島列島には含まれないが、ソ連は千島列島の一部であるとして北方領土を占領し、その状態が現在まで続いている。